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名古屋地方裁判所 平成3年(ワ)3629号 判決 1992年12月04日

原告

星野眞智子

右訴訟代理人弁護士

兵藤俊一

羽賀康子

被告

戸川文雄

右訴訟代理人弁護士

吉住健一郎

被告

福嶌広一

右訴訟代理人弁護士

近藤倫行

主文

一  被告らは原告に対し、連帯して金一三〇二万三六四〇円及びこれに対する平成三年六月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の、その余を被告らの負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは原告に対し、連帯して二一四四万三四六九円及びこれに対する平成三年六月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が左記一1の交通事故の発生を理由に、被告らに対し、いずれも自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する事案である。

一争いのない事実

1  本件事故の発生

(一) 日時 平成三年六月一五日午前七時二〇分ころ

(二) 場所 名古屋市中川区山王四丁目五番一一号先路交差点付近

(三) 第一車両 被告戸川運転の普通乗用自動車

(四) 第二車両 被告福嶌運転の普通乗用自動車

(五) 被害者 二村政一

(六) 態様 本件交差点を右折しようとした第一車両と対向直進してきた第二車両とが衝突、更にその反動で、第二車両が歩道上で信号待ちのため佇立していた政一に衝突して同人を死亡させた。

2  被告らの責任原因

被告らは、それぞれ第一、第二車両を自己のために運行の用に供しており、いずれも前方不注視の過失によって本件事故を発生させた。

3  政一の年金及びその他の所得

同人は、本件事故当時厚生年金保険法に基づく老齢年金として平成二年度中に年額二一〇万〇七七一円を受給していたほか、中日木工株式会社から同年度中に給与・賞与として一二〇万円の支払を受けていた。

4  政一の相続関係(<書証番号略>)。

原告は、政一の子で、同人の相続人は、原告のみである。

5  損害の填補

原告は、本件事故による損害について自賠責保険金一二七八万一二六〇円を受領し、これに充当した。

二争点

本件の主要な争点は、政一の老齢年金受給権喪失による逸失利益の有無である。

原告が右による損害の発生を主張しているのに対し、被告らは、これを争い、その理由等として、次のとおり主張している。

(被告らの主張)

(一) 厚生年金保険法に基づく老齢年金には、①保険料の一部事業主負担、②国民生活水準等に応じた支給額の改定措置、③被扶養者数に応じて支給額が増加するいわゆる加給年金制度の採用などの特色があり、これらの点からすれば、同年金には生活保障的側面が圧倒的に強いのであるから、その受給権は、受給者の死亡により消滅するのであって、一身専属的な性質を帯び、相続の対象とならない。

(二) また、原告は、本件事故当時政一と同居したり、その生活を世話したりしておらず、反対に同人に扶養されていた事実もないから、原告が本件老齢年金を逸失利益として取得することは、公平の観点にも適しない。

(三) 仮に、本件老齢年金喪失による逸失利益が認められる場合、その九割を生活費として控除すべきである。

第三争点に対する判断

一政一の損害

1  死亡逸失利益

(一) 老齢年金受給権喪失による逸失利益の有無

(1) 前示第二、一3のとおり、政一が本件事故当時厚生年金保険法に基づく老齢年金として年額二一〇万〇七七一円を受給しており、本件事故で死亡したことは、当事者間に争いがない(なお、①右年金が老齢厚生年金ではなく老齢年金であった点《<書証番号略>の記載も同様》、②後示(二)のとおり政一が本件事故当時八一歳だった点からすれば、同年金は、昭和六〇年法三四号による改正前の厚生年金保険法四二条に基づくもので、昭和六〇年法三四号附則六三条、七八条により、右改正前の厚生年金保険法が適用される関係にあるものと推認される。以下改正前の厚生年金保険法を単に厚生年金保険法という)。

ところで、すでに支給の開始された老齢年金受給権は、法律上適法な財産上の権利であるとともに、受給権者の死亡まで将来にわたり支給の確実な権利であるから、当該受給権者は、将来の右年金受給についても不法行為法上保護されるべき法的利益を有していると解するのが相当である。

政一は、本件事故で死亡して、前示老齢年金の受給権を喪失し(厚生年金保険法四五条)、本件事故がなければ取得していたはずの将来の同年金額に相当する利益を違法に喪失させられたものであるから、被告らに対し、その賠償を求める権利がある。

(2)  これに対し、被告らは、老齢年金受給権が受給権者の死亡により消滅する相続上の一身専属性権であることを理由に、その逸失利益自体を争っている(この問題は、正確には、発生した損害賠償請求権の相続性の問題ではないかと考えられるが、便宜上ここで検討する)。

たしかに、老齢年金受給権が相続上の一身専属性権であることは、厚生年金保険法四五条の規定から明らかであるが、そもそも、①受給権者の相続人と保険者との間における老齢年金受給権の相続性の問題と、②受給権者の相続人と加害者との間における当該受給権の喪失による損害賠償請求権の相続性の問題とは、自ずから別個の問題であって、受給権の右損害賠償請求権は、その性質上当然相続上の一身専属権に該当しないものといわなければならない。被告らの右主張は、右①②の問題を混同したもので、その前提に誤りがあるから、これを採用することができない。

(3)  また、被告らは、原告政一との間に扶養・被扶養の関係がないことをもって、原告が本件老齢年金受給権喪失による損害賠償請求権を取得することが公平の観点に合致しないと主張するが、相続の一般原則を定めた民法八九六条は、相続人と被相続人との間に扶養・被扶養の関係があるか否かを問題にすることなく、被相続人の財産に属した一切の権利が相続の対象となることを肯定しているのであるから、この趣旨に反する被告らの右主張も採用できない。

(4)  更に、被告らの主張中には、老齢年金が前示第二、二(一)①ないし③掲記の特色を持つ生活保障的な年金であることを理由に、同年金受給権喪失による損害賠償請求権の発生自体を争う趣旨と窺われる部分があり、その骨子は、(その引用する文献等によれば)老齢年金の制度上、同年金(受給権者に扶養者があった場合には、老齢年金と当該扶養者に支給される遺族年金との差額。以下同じ)が全額当該受給権者本人の生活費に充当されることが予定されているから、当該受給権喪失による逸失利益は、死亡により支出を免れる右生活費と相殺され、発生する余地がないという点にあると解せられる。

しかしながら、老齢年金の額を定める厚生年金保険法三四条、四三条、四四条によれば、同年金は、①基本年金(更に(a)いわゆる定額部分と(b)報酬比例部分とから成る)と②加給年金から構成されているところ、右(a)の金額決定に当たっては、一定の法定金額と被保険者期間が、同じく右(b)については、平均標準報酬月額(被保険者期間の計算の基礎となる各月の標準報酬月額を平均した額)と被保険者期間が、同じく右②については、配偶者及び扶養を要する子の有無・数が、それぞれ考慮されているにすぎないのである。したがって、老齢年金の制度上、右各規定により決定される当該老齢年金額と、被保険者期間満了から長期間経過後になることもある不法行為当時の当該受給権者の生活費とが、常に同額になることが予定又は保障されているとは容易に解せられないのである(右生活費額は、受訴裁判所が、当該被害者の年金以外の収入・資産の有無や額、生活状況、扶養家族の有無等を考慮して、個別的に認定すべき事柄である)。

以上の事情に照らせば、被告らの前示主張も独自の法律解釈に基づくものであって採用することができず、そのほかに、年金受給権を違法に喪失させられた受給権者が加害者に対し、その喪失による財産的損害の回復を請求できないと解すべき格別の理由は見出し難い。

(二) 逸失利益額(請求七〇三万一二七九円)

五七六万九〇三〇円

(1) 前示争いのない政一の所得額、<書証番号略>、原告本人によれば、政一は、明治四二年一一月八日生まれ本件事故当時八一歳の男性で、右当時一人暮らしをしており、前示老齢年金額二一〇万〇七七一円のほか、中日木工株式会社から給与・賞与として年額一二〇万円の支払を受けていたことが認められる。そして、昭和六三年簡易生命表によれば、八一歳男子の平均余命は6.26年である。

したがって、右事実に基づけば、特段の事情の認められない本件では、政一は、少なくとも本件事故から右平均余命の約半分である三年間にわたり、なお就労可能だったと考えられるから、①この期間中、毎年前示老齢年金及び給与・賞与の合計額である三三〇万〇七七一円の、②その後三年間にわたり、毎年前示老齢年金と同額の二一〇万〇七七一円の、各得べかかりし利益を喪失し、これらと同額の損害を被ったものと考えるのが相当である。また、政一の死亡により支出を免れる生活費の割合については、右①の期間については、これを五〇パーセント、右②の期間については、これを七五パーセントと、それぞれ認定するのが適切である。

したがって、以上を基礎として政一の逸失利益を算定し、更に年五分の割合による新ホフマン係数を使用して、これを本件事故当時の現価に引き直すと、次のとおり五七六万九〇三〇円となる。

3,300,771×(1−0.50)×2.7310+2,100,771×(1−0.75)×(5.1336−2.7310)=5,769,030

(2) これに対し、被告らは、政一が本件事故当時心筋硬塞を患っており、その後三年間の就労に耐え得なかったと主張し、<書証番号略>によれば、同人が平成三年一月から二ケ月にわたり心筋硬塞の疑いで病院に入院した事実が認められる。しかし、同時に<書証番号略>によれば、入院診断の結果右心筋硬塞の疑いが解消され、政一は、以後健康に暮らしていたというのであるから、被告らの右主張を採用することはできず、他に前示認定を覆すに足りる証拠はない。

2  相続関係

前示争いのない相続関係に基づけば、政一の相続人は原告のみであるから、原告は、右死亡逸失利益五七六万九〇三〇円に関する損害賠償請求権を相続により取得した。

二原告固有の損害

1  診察料・死後処置料(請求も同額)

三万五八七〇円

<書証番号略>、原告本人によれば、本件事故による政一の死後処置料等として右金額を要したものと認められる。

2  葬儀費用(請求一四五万七五八〇円)

一〇〇万円

本件事故と相当因果関係にある葬儀費用としては右金額が適切である。

3  慰謝料(請求二四〇〇万円)

一八〇〇万円

本件事故の態様・結果、政一の年齢・家族構成等諸般の事情を考慮すると、右金額が相当であると認められる。

4  損害の填補

以上一及び二1ないし3の損害は、合計二四八〇万四九〇〇円であるところ、原告が本件事故による損害の填補として自賠責保険金一二七八万一二六〇円を受領したことは当事者間に争いがないから、こを右金額から控除すると、残額は一二〇二万三六四〇円となる。

5  弁護士費用(請求一七〇万円)

一〇〇万円

本件事案の性質、審理経過、認容額等を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある金額としては、右金額が適切である。

6  以上合計

一三〇二万三六四〇円

三結論

以上の次第で、原告の請求は、被告らに対し、連帯して一三〇二万三六四〇円及びこれに対する本件事故発生の日である平成三年六月一五日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官夏目明德)

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